道徳の授業では、毎回「新しい価値を創り出す」ことを目標にしています。
「新しい価値を創り出す」とは?
ということについては、【新しい価値を創り出す道徳授業〜1年「きんのおの」で驚いた】をお読みください。
1年「ちゃんとのたつじん」の授業
最終的な授業の板書です。
今回は訳あって、授業時間が30分しかありませんでした。
短い時間なので、
「子どもが十分に発表できなかった」
「子どもはもっと深めたかった」
ということが反省でした…。
導入
今回も定番発問をしました。
まずは「語彙の確認」です。
言葉の意味がわからない子を、そのままにして授業を進めると、
「置いてけぼり」になる子どもが出てしまいます。
「たつじん」って何ですか?
こんな感じの意見でした。
では「ちゃんとのたつじん」って何ですか?
なるほど。
「いつでもできる」というのは、あとから「問いかえし」に使えそうだなぁと感じながら、授業を進めていきました。
展開
今回は、資料の内容がお話ではなく、「2枚のイラストを対比する」という形でした。
「乱雑な靴箱」⇄「整頓された靴箱」
といった対比です。
板書を見ていただきたいのですが、上と下のイラストで、
「ちゃんとしてない」⇄「ちゃんとしている」
という見せ方になっています。
上と下で何が違うのですか?
この発問によって
「“ちゃんと”の正体が見えるだろう」
と考えていました。
子どもから出てきた意見は、以下のような感じです。
こうした行動が、
子どもの考える「ちゃんとする」の正体です。
「ちゃんとする」と、どのような良いことがあるのですか?
このあとは、これらの意見をつなげて、さらに深掘りする子たちが出てきます。
「良いことが返ってくる」というのは、「恩返し」みたいなものだよ。
ちゃんとしていなかったら、けっきょく損しちゃうことになるよ。
このあと、私としては、個人的にすごいなぁと感じた意見が出てきます。
でもさ、本当は…
「損か得か」で考えるんじゃないと思うよ。
「善か悪か」で考えるんだと思うよ。
すごい…と思いました。
しかし…このあと私は、この日一番の大失敗をしてしまいます。
この意見をもっと深めていくべきでしたが、時間が気になり…
もともと用意していた「揺さぶり発問」をしてしまいます。
あとから振り返ると、私は一体何をしたかったのだろうか…と感じました。
「時間がない」
「授業でやるべき内容をやらねば(と勝手に思っている)」
こうした教師の意識は、子どもを中心に据えた授業を阻害します。
今だにこんなミスをしてしまう自分が悲しい…
では…揺さぶり発問の様子です。
揺さぶり発問(余計な)
でもさ、片付けなんてしない方が、休み時間もたくさん遊べるんじゃないの?
かなり唐突な発問…(~_~;)
にもかかわらず、のってきてくれる子ども達😭
どっちも大事だけれど、やっぱり片付けをした方が「心はきれい」になるよ。
「ちゃんとして」いると、生きる時間も長くなるんだよ。
「ちゃんとする」は健康にもなるんだよ。
そうそう。
おじいちゃんや、おばあちゃんになっても、ちゃんとできる人になれるよ。
(心の声)
へ?
「ちゃんとする」=「健康」?
「そうそう」って…子ども達は、この言葉の意味を理解しているの?
どういうこと?
私がまごまごしている間に、授業は終了の時刻…
終末
定番のワークシートへの記入時間です。
まだまだ「言いたいことがある!」という子ども達の声をふりきって、
「あとはワークシートに書いてね」
「あとで読むからね」
ポン太先生…かなり無理がありますよね。
子ども達の感想には
・普段がんばっている自分に気づいた姿
・もっとがんばりたいことが見つかった姿
・「ちゃんとしよう」という意欲が高まった姿
などが見られました。
どんな授業でも、健気にひたむきに学ぶ子ども達に、助けられてばかりです。
教師が準備した発問ばかりに縛られてしまう。
結果、子どもの声はスルーしてしまう(絶対ダメです)。
教師は発問を準備しているものの、子どもの声や、子どもから出された問いをひろいながら、授業の流れを変更していく。
当たり前のことかもしれませんが、今回の失敗を反省し、次回は気をつけたいと思います。
先生のみなさん、
忙しい時ほど、時間が限られている時ほど、子どもの声が聞こえなくなります。
お互いに気をつけていきましょう。
・うまい人
・できる人
・天才
・プロ