日々の実践

1年生ってすごい〜道徳の授業で平和について考えた〜

平和集会

私の勤務している県では6月頃になると、各学校で「平和集会」という行事が行われます。

今年度はコロナウィルス感染症の影響があり、全校児童で集まって行う集会活動はできません。

そこで、

6年生が平和に関するビデオを作成し、朝会の時間帯に各教室で視聴する、ということになりました。

道徳の授業で

このビデオを使って、1時間の道徳授業を行うことにしました。

ビデオの内容は6年生が考えたものであり、とても素晴らしかったです。

すごい教材であり、1年生が引き込まれていくのが伝わってきました

6年生からの問いは主に3つ。

① 「平和」ってなんだろう?

② 今は「平和」って言えるのかな?

③ 今私たちにできることは何だろう?

この内容に沿って、子ども達と話をしていきました。

「平和」って何だろう?

この問いについての答えは、以下のような感じでした。

・戦争がないこと

・にぎやかなこと

・街が新しいこと(ボロボロではない)

・いっぱい食べられる、遊べること

この時点でもう

「1年生ってすごいな」と感じました。

1年生なりの経験値で「平和な様子」を言葉にできるのです。

今は「平和」って言えるのかな?

この問いについて、「楽しいから平和って言える」「家族と暮らせるから平和」といった答えが返ってきました。

ほとんどの子どもが「もちろん平和でしょ」と感じているようなので、少し問い返してみました

「家族と暮らせることって当たり前なの?」

子ども達の表情が変わりました。

先ほどまで「当たり前だと感じていた平和」が、何となく違ったものに感じ始めたのだと思います

そこで、「平和だと思う人?」とたずねると、2名の子どもが手をあげました。

「平和じゃないと思う人?」には1人も手をあげませんでしたが、「どちらか分からなくなった人?」には残り24名の手があがったのです。

迷いが生まれました。

すごい子ども達です。

「家族と暮らせることは当たり前なの?」

正直思いつきの発問でしたが、子ども達の本気を引き出せたようです。

子ども達は真剣な表情で自分の考えを伝え始めました。

・家族はいなくなることもあるよ。だってさ、僕のおじさんもさ…

・戦争だと殺されちゃう人もいるから…
(子どもから「亡くなるってことでしょ」と言う声)

・子どもがすてられることも、家族と会えなくなることもあるよ

・産んでくれたから、そのことも当たり前じゃない

・家族がいない人だっているよ

これらの発言、はっきり言ってすごすぎます

1年生は私の想像をはるかに上回りました。

私は1年生の担任をするのが初めてなので分からないのですが、こういった発言を当たり前にできるのでしょうか。

この時点で私は「まずい。もう子どもに負けている」と思いました。

つまり

教材研究が不足しており、これ以上子どもの思考を深めることができないと感じたのです。

子ども達はもっともっと深めようとしていました。

6年生の作成したビデオに甘えて、教材研究を怠ったことを後悔しました。

今私たちにできることは何だろう?

最後の問いです。

ここでもすごい発言が出ました。

まず子どもから出てきた言葉は「お手伝いをする」でした。

「俺はいつもしてるよ」というつぶやきも出てきて、微笑ましかったです。

「ケンカをしないこと」という意見もありました。

そして次に

「みんなに笑顔をあげること」という言葉が返ってきました。

この言葉にも子ども達が反応しました。

次々に意見が生まれます。

みんなを笑顔にするために、「ニコニコする」「いじわるをしない」「嘘をつかない」「ありがとうって言う」などです。

最後に…

1年生って本当にすごいです。

純粋に真っ直ぐな気持ちで、世の中にある答えなき問いに、自分の頭で立ち向かえるのです。

解決に向けたアイディアを生み出せるのです。

最後の問いについて議論している途中で、授業終了のチャイムが鳴りました。

何と45分間、席に座ったまま子ども達は授業を続けたのです。

私にとってもあっという間の時間でした。

45分間丸々座って授業をしたのは、これが初めてでした。

一斉登校が始まってからわずか3週目の授業で、です。

6年生が作成したビデオ教材の力ではありますが、子ども達との真剣なやりとりと、発言の質の高さに、驚きと感動でいっぱいでした。

これからは、私自身の力でこのような授業がつくれるよう、がんばりたいです。

子ども達の資質の高さは間違いありません。あとは私次第です。