学級経営

ビジネスの未来から教育の未来を考える

買ったけれども、まだ読んでいない本…

ありませんか?

私は、かなりあります…(−_−;)

冬休みの間に、1冊でも多く読了しようと考えています。

今回読んだのは、話題の新書です。

【参考・引用文献は以下の通り】

山口周(2020)

ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

株式会社プレジデント社

私が考える読書とは…

「アウトプットすること」

に意味があります。

そう考えるようになったのは最近ですが、

せっかく本で知識を得たのに、活用されないと意味がないですよね。

そこで、ブログを

「アウトプットと記録の場」

にしようと思い、この記事を書いています。

ですから、書評とか、本の要約をするつもりは、全くありません。

本を読んで、

「考えさせられる、教育実践にも生かせそうだな」

と感じたことを、自由に書いていきます。

あくまで、私個人の解釈ですので、著者の正しい思いを読み取れているとは限りません。

正しく理解したい方は、本を購入して読んでください。

間違いなく名著ですので、買って損はありません。

気になったキーワード

ここでは、読んでいて気になったけれども、

「具体的に、教育にどう落とし込むかを、考えられなかったこと」

(あくまで、私の頭脳では無理だった…ということです)

「どちらかというと、ビジネスに特化していると感じた内容」

について書いていきます。

「手早く、教育に関することから知りたい」

という方は、目次「教育の未来」へ、とんでください。

現在の日本は「高原社会」のフェーズ

ざっくり言うと、山口さんはこうおっしゃっているかと…。

経済成長を目指して、経済の山登りをがんばっていた「登山社会」のフェーズはもう終わったよ。

現在は、もうこれ以上の高みを目指させない(経済成長をしない)、「高原社会」に、私たちはいるんだよ。

山口周(2020)「ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す」プレジデント社を参考

また、過去30年にわたって、日本の経済は低調に推移していますよね。

長らく、「不景気」という言葉を耳にしてきたかと思います。

しかし、国民の「生活満足度」や「幸福度」は、大きく改善しているそうです。

つまり、

「経済をこれ以上成長させることに、もはや大きな意味はない」

というのが、山口さんの主張です。

また、著書の中で頻繁に出てくる言葉として、

「インストゥルメンタル」

「コンサマトリー」

があります。

これからの日本には「コンサマトリー」な考え方が大切になる、という論ですが、2つの意味は以下の通りです。

インストゥルメンタル

未来のために今を犠牲にするという、手段主義的な思考・行動様式

コンサマトリー

永遠に循環する今を豊かに瑞々しく生ききるという、自己充足的な思考・行動様式

山口周(2020)「ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す」プレジデント社 より抜粋

過去の日本は、インストゥルメンタルな思考・行動様式でした。

個人的には、「根性論」とも似ているように感じました。

資本主義をハックする

生きがいも楽しさを感じられない仕事に、給料が高いからという理由だけで携わっているのは、本質的に生命としてのバイタリティを喪失することになるのです。

〜中略〜

私たちが、自分の本来の感情、幸福感受性に根ざして仕事を選ぶことができれば、私たちの幸福に貢献しない仕事は、社会から消えていくことになります。なぜなら、私たちの社会には市場原理が働くからです。ここに、私が「資本主義をハックする」と言っている意味があります。

山口周(2020)「ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す」プレジデント社 p264-265

このことについては、他の著名なビジネスマンもおっしゃっていますよね。

社会から消えない仕事(幸福に貢献しないけれども)が存在しているのは、そこに需要が存在しているからです。

「この仕事は、もう今の社会には必要ないかも」

と感じるのであれば、その仕事を、私たちが「選ぶことをやめてしまった方がいい」ということです。(多分)

そうすると、仕事は淘汰されていく、ということですね。

私たちはどこへ向かうのか

まず、この30年間の世界におけるイノベーションは凄まじかったですよね。

(iPhoneやAIをはじめとするテクノロジーの発達)

しかし、著者は

「イノベーションは経済成長には貢献しない」

「イノベーションは格差を拡大させる」

ことを述べています。

これについては詳述しませんので、ぜひ本を手にとって、読んでみてください。

そして、これからは

「経済性に根ざして動く社会」から「人間性に根ざして動く世界」へと転換させる

「便利で快適な世界」「生きるに値する世界」へと変えていく

ということを、山口さんはおっしゃっています。

つまり、経済性から人間性への転換です。

これらのことから、私が考えたことを書きます。

これまで日本では、「経済界の論理」が、安易に教育界に落としこまれるような場面がありました。

ここでいう「経済界の論理」というのは、「生産量」や「売上」といったものです。

モノにおける「生産量や売上の向上」という考えが、教育におけるヒト(子ども)に置き換わるような場面を見たことがあります。

つまり、

「モノを生産する際の論理」を「ヒトを育てる際の論理」としても、同じような文脈にあてはめようとする行為です。

子どもの心情・意欲面に配慮しない、学力向上を効率的に推し進める方法や、点数主義への偏った教育観、など。

先生の業務成果を得点化、見える化して、給与に反映させる、など。

こうした教育観や先生観は、これまでも危険であったし、今後はさらに時代錯誤であろうと考えるのです。

これから子どもたちが生きる世界は、「物質的には困ることのない世界」です。

モノ以上に価値あることを、子どもたちは創造していかなくてはいけない、ということです。

では、学校教育では何をしていけばいいのでしょうか。

おそらく、豊かな人間性(非認知的なもの)を育むことが、より一層重要になってくるのではないでしょうか。

「身の回りの課題を発見し、解決しようと行動する力」

「対象に対して、素晴らしい、価値がある、などと感じる感受性」

「自己の生活を工夫して、潤いのあるものにしていこうとする意志力」

などでしょうか。

「そんなこと、すでに言われているよ(知っているよ)」

と感じるかもしれません。

しかし、私は「なぜそう言えるのか」ということを、「様々な根拠をもとに、明確に言葉で説明できる人間になりたい」と思っています。

「なんとなく知っている(わかったつもり)」

というのが、一番危険で中途半端な状態だと思うのです。

(そうならないように、気をつけよう)

だからこそ、学んでいるのです。

教育の未来

偽善的規範こそが邪魔なもの

本の中で、日本の言い伝え(昔話)に関する考察が書いてあります。

ざっくり書くと、

子ども達が、ありがたい観音像(お地蔵さんのようなものかな)を、転がしたり、またがったりして遊んでいました。

その様子を見た大人は、子ども達を叱責し、その遊びをやめさせます。

すると、その夜から、「叱責した大人」は病気になります。

巫女に原因をたずねると、「神々が、せっかく子ども達と楽しく戯れていたのに、それを邪魔したから」なのだそうです。

その「叱責した大人」は、神々に「戯れ」を邪魔したことを謝ると、病気は治りました。

こういった昔話が、日本には数多くあるようです。

つまり、

「私たち規範意識を押し付ける際、ご利益や他者評価を期待している。それは邪(よこしま)な心だ」

というのが、山口さんの解釈です。

「無垢なる衝動が偽善に脅かされる危険性」を訴えている。

とも、書いていました。

つまり、

創造性が高く、価値のある「子どもの無垢なる衝動」が、大人社会の規範意識や偽善的規範によって、消し去られてしまうことは危険である

ということではないでしょうか。

これは、さすがに「むむぅ…」と、頭を抱えてしまいますよね。

当然、道徳的な意識や、人権感覚までをも否定しているのではないと思います。

しかしながら、今後

「子どもの純粋な衝動と、どのように向き合っていくのか」

ということは、先生の課題だということになります。

「無垢な衝動」は価値の高いものであり、ビジネスの未来において、創造性の原動力となるものです。

つまり、

子どもの「やりたい」

子どもの「探求したい」

を大切にしていくことだと、個人的には感じました。

管理・制限された学校教育カリキュラムの中で、どれほど実現できるのか、模索していきたいなぁと感じました。

具体的なアクション

具体的なアクションについては「3つ」述べられていました。

私の記事では、その中の1つだけを紹介しますので、残りも興味がある方は、ぜひ実際に読んでみてください。

1つ目のアクションはこれです。

真にやりたいことを見つけ、取り組む

これからは、アーティストが、自らの衝動に基づいて作品を生み出すのと同じように、各人が自らの衝動に基づいてビジネスに携わり、社会という作品の彫刻に集合的に関わるアーティストとして生きることが求められています。

山口周(2020)「ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す」プレジデント社 p189

その活動内容については、以下の2点が挙げられていました。

1:経済合理性限界曲線の外側にある未解決の問題を解く

2:高原社会を「生きるに値する社会」にするモノ・コトを生み出す

「経済合理性限界曲線の外側にある」というのは、ざっくり言うと、

「損得勘定を抜きにした、生産性などを視野に入れないこと」と理解しています(私の個人的な理解です)。

正確に知りたい方は、実際に読んでみてください。

やはり、「真にやりたいこと」を選ぶのは、自分自身(子ども自身)なのです。

課題発見能力や、社会の事象に対する関心・感受性などが、より一層大切になってくることがわかります。

そう考えると、現在、日本の教室で行われている授業は、その命題に応えることができているでしょうか?

もちろん、私自身も、全くできていません…。

だからこそ、この本を読んだ意味があったと感じます。

人間の条件

本の中に、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの「人間の大地」からの引用文がありました。

この引用文は、正直かなり印象に残りました。

今回の記事では、その引用文は書きませんが、

その引用文から筆者の山口さんが考えたことを、紹介します。

サン=テグジュペリは「人間の条件」として「おのれにかかわりないと思われていたある悲惨さを前にして、恥を知る」ということをあげています。もし私たちが「経済合理性」を理由にして、社会に残存する格差や貧困や虐待といった「悲惨さ」を放置せざるを得ないのだとすれば、もはや私たちは人間性を備えた存在=ヒューマンビーイングたり得ないと言っているのです。

山口周(2020)「ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す」プレジデント社 p122

この一節から、真っ先に思い浮かぶことは、SDGsではないでしょうか。

環境問題や貧困、人権に関する問題は、現在ようやく、日本の学校教育でも注目され始めた、といったところではないでしょうか。

「持続可能な社会」という言葉を、よく耳にするようになりました。

しかし、世界規模、地球規模で課題となっていることに対して、子どもたちが自分事として向き合えるようなカリキュラムが、学校にはあるのでしょうか。

取り組んでいる学校もあるはずですが、私はまだまだ、その意識が弱かったです(これから勉強します)。

「まずは世界の様々な現状を知る」ということから、子ども達と一緒に始めていきたいと思いました。

未来の仕事観

未来の仕事における「報酬」は、

「物質的報酬」ではなく「精神的報酬」

となっていくようです。

つまり、「活動それ自体が楽しい」とか「活動それ自体に意味があるもの」が仕事となり、金銭的報酬のみが、「仕事の価値」ではなくなる、という事でしょうか。

本の中で「Linux開発の物語」について書いてありましたが、これもかなり印象に残りました。

Linuxは非常に完成度の高いOSです。

これを開発するために、金額にしておよそ80億ドル(約8600億円)の労働力が「無償で」提供されました。

また、開発に携わった人々は、IBMやインテルなどの企業に勤める、多忙なプロフェッショナル達だったそうです。

彼らはなぜ、無償で自分の知識・技能・時間を「贈与」したのか?

山口周(2020)「ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す」プレジデント社 より

この物語を通じて、

「労働を通じて知識・技能・創造性を発揮するという「楽しさ」が、最も重要な報酬になるという示唆を与えてくれる」

と、山口さんは述べています。

また、

「楽しい仕事」が一種の商品となって「買われる」

そんな時代になっていく、と書いてありました。

山口さんはそれを、

「活動それ自体が報酬となる自己充足的な活動=コンサマトリー」

と表現していました。

つまりもう、これからの仕事観は、

「楽しいことを買ってでもしたい」

という風になっていくということですかね。

そう考えると、現在TwitterやSNS上でみられる

「オンラインサロン」

「主体的に開催される研修会・セミナー」

などは、まさに時代の波にのった活動なのだと思いました。

自分が「楽しい・価値がある」と感じること向かって、創造性を発揮しているわけです。

もはや、これまでの古い「仕事観」ではないはずです。

「楽しい仕事(活動)」として、こうした活動を進めてらっしゃるのだと思うと、頭が下がりますね。

こうした「楽しい仕事(活動)」を生み出す原動力は何でしょうか。

おそらく、一人一人の「責任感」や「問題意識」なのだと思います。

それらは、主体的な場面でのみ、発揮される感情だと思います。

学校現場でも、子どもたちにこうした感情を育んでいきたいですよね。

私は小学校の先生ですが…

原点に帰り、幼児教育で大切にされている、子どもの「心情・意欲・態度」に立ち返ることも大切だと感じました。

「心情・意欲・態度」の育みは、全ての学びの原動力だと思います。

学校の教育観、授業観を、更新していきたいですね。

「ビジネスの未来」を知ることで、「教育の未来」について考えるヒントがたくさんありました。

被贈与の感覚

最後に、もう一つだけ…

未来の社会について、このようなことも書いてありました。

「消費や購買」より「贈与や応援」

これからの、消費者の意識について、ですね。

「買いたい」という衝動よりも

「応援したい」という衝動により、

ビジネスが成立していくであろう、ということだと理解しました。

確かに、現在の社会でもすでに、「フォロー・フォロワー」という認識は強まっています。

私たちもすでに、「応援したい」と思うヒト・モノ・コトに、お金や時間を贈与しているのではないでしょうか。

これは、私たちの生活が高原社会に達しており、単純な消費活動への意欲はもう薄まってきているからだと感じました(この本を読んで)。

だからこそ、学校教育でも

子ども達に「被贈与の感覚を守り育む」ことが重要であることを、山口さんは述べています。

ビジネス書から学べることは、やはり多いですね。

この本は確実に名著ですので、ぜひ実際に読んでみてください。

素晴らしい示唆を与えてくださった、著書と著者に感謝します。

本当にありがとうございました。