学級経営

学級経営を学び直す3

学級経営をイチから学び直そうと思いました。

動機については以下の記事に書いています。

「学級経営を学び直す1」

学級経営を学び直す1 学級経営って難しいなぁと、今頃になって実感。 自分自身の年齢が子ども達とどんどん離れていくので、その分、学級経営も難しくなるのか...

とりあえず学級経営に関する本を5冊読んでみる企画。

第3弾はこの本を読んでみました。

参考・引用文献は以下の通りです。

澤井陽介(2016)

「学級経営は「問い」が9割」

東洋館出版社

全体の印象

これまでに読んだ2冊と異なっていた点は

「理論よりも実践で語られていること」

でした。

澤井先生が現職教諭だった頃のエピソードをもとにして、学級経営の考え方が語られています。

様々な出来事が、エッセイのように語られており、かなりの量です。

もちろん、量だけでなく、書いてある内容(質)も、素晴らしいです。

間違いなく、ためになる1冊。

私は教職18年目ですが、読み応えのある1冊であり、多くの気づきがありました。

でも、きっと3〜5年目の先生が読むと、さらにバイブルになるだろうなぁと感じました。

先生としての心構え、子ども観をアップデートできると思います。

澤井先生に感謝。ありがとうございます。

そして今回も、私がとり上げたいことのみ、書いていきたいと思います。

基本的に、

「私のアウトプットと記録」

のために書いていますので、あしからず。

集団が個を輝かせる

集団の教育力

澤井先生は、

子どもの個性や、人間性を大切に思うあまり、本来は指導すべき行動までをも「容認」してしまう雰囲気はないか、

ということを述べていました。

教育現場では、「一人一人の子供」という「個」に目が行きすぎてしまったのではないでしょうか。その結果、「子供たち」というくくりでの「集団」に対する教育力が、相対的に弱まっているように、私には感じられるのです。

澤井陽介(2016)「学級経営は「問い」が9割」東洋館出版社 p15

確かに…

考えさせられる内容です。

現在の教育現場では

「他の人の迷惑になっていなければ別にいいじゃん」

といった価値観が認められる場面も多いのではないでしょうか。

その考え方はいいと思います。

しかし、

個が育つ → 結果、集団全体が育つ

という考え方だけではなく、

集団全体が育つ → 結果、個も育

という考え方も同時に、必要な気がするのです。

「どちらがいいか」ではなく「どちらも」です。

澤井先生も、本の後半では、このように述べています。

実は、学級経営とは、個から学級全体を見渡せるようにして「集団」をつくり、その機能を高めていく過程で「個」が輝くようにしていくことなのです。

集団づくりを目指しながらも、「集団としてよくなった」という評価では、まだその学級は未完成なのです。最終的には子供一人一人がどう変わっていくかです。

澤井陽介(2016)「学級経営は「問い」が9割」東洋館出版社 p103

やはり、集団主義的な考え方ではなく、最終的にはやはり「個」なのですね。

集団を育てながら、個の成長にきちんと目を向ける、ということです。

澤井先生、プロすぎます。

子供が教師についていく

しかし、子供たちを一個の個人として完全に切り分けてしまうと、多様性ばかりが目について、かえって指導がままならなくなるのではないでしょうか。〜中略〜

実は逆なのです。「教師が子どもについていく」のではなく、「子供が教師についていく」ようにしていかなければならないのです。言い換えると、教師が子供の個性に合わせるのではなく、子供が教師の個性に合わせて行動できるようにしていくということです。

澤井陽介(2016)「学級経営は「問い」が9割」東洋館出版社 p16-17

集団が崩れると、その結果不利益を被るのは、結局子どもです。

澤井先生は長い教員生活を経て、先生と子どもの立場をはっきりと区別することの大切さを説いています。

子どもの目線で考えることはもちろん大切。

でも、子どもの立場にはならない。

先生が子どもと同じ立場、対等な関係では、いじめなどの問題に対応できないばかりか、子どもも安心して過ごせないはずです。

子どもにとって、頼りになる先生である必要がある、ということかなぁと思いました。

子どもの教師理解

教師が子供を理解するのではなく、子供が教師を理解する(認めてくれる)、だから結果として子供たちのことがわかるようになるし、学級がまとまるのです。

澤井陽介(2016)「学級経営は「問い」が9割」東洋館出版社 p23

教師の自己開示が大切だなぁと感じました。

先生が手の内を隠して、子どもと探り合いをしているようでは、確かに子どもも落ち着かないですよね。

「私はこういう人間だ」

「こういうことは好きだけれど、こういうことは許せない」

ということを、子どもに理解してもらった方が、子どもは混乱しません。

結果、学級も落ち着きます。

モデルを提示するということ

思いやりの耳と思いやりの目

だから、私は常々「思いやりの耳をもとう」と言っていました。「たぶんこういうことを言いたいんだろうなぁと思いやって聞こうよ」と。誰でも言い間違えることはあります。それをいちいち指摘しても、いいことなどありません。また、教師に対しては「思いやりの目をもとう」とも言っていました。「もし、先生が慌てて書いて、黒板の字を間違えていたら、思いやりの目だよ」教師だって間違うことはあります。だから、「そんなときには、そっと教えに来てね」と言っていました。

澤井陽介(2016)「学級経営は「問い」が9割」東洋館出版社 p99-100

これは、ちょっとしたことに感じるかもしれませんが、私は大切なことだと感じました。

指導の本質は、「モデルを示すこと」

という考え方も勉強になりました。

指導の本質は、モデルを提示することにこそあります。「誰かが間違いをしたら、こう対応したらいい」というモデルです。これは、自分が間違いをしたときにも、許される判断基準ともなるので、子供たちに安心感を与えます。

澤井陽介(2016)「学級経営は「問い」が9割」東洋館出版社 p99-100

「思いやりの心は誰でも持っている」

かもしれませんが、

「どう行動すれば思いやりが見えるのか」

ということは、モデルがあると子どもはわかりやすいですよね。

つまり、教えていい内容であり、

指導事項になりうる、ということです。

そんなことを考えるきっかけになりました。

目標とする授業イメージを共有する

澤井先生は、

「素晴らしいと思う授業を撮影しておいて、自分の学級の子供たちに観せる」

という実践をしていたそうです。

(もちろん、肖像権等に配慮した上で、です)

たとえば、一人の子供が真剣に話している姿、それを前のめりにして耳を傾けている子供たちの姿が、ビデオ映像を通して目に飛び込んできます。この手法は抜群の効果がありました。〜中略〜

授業は教師だけで行うわけではないからです。教師と子供がいて、はじめて授業が成立する以上、「いい授業」への双方のイメージが一致することで「いい授業」が生まれるのです。〜中略〜

「私たちはどんな授業を受けたいのか」「そのためには、どのように授業に参加すればよいのか」を子供自身が具体的にイメージできることが、「いい授業」を生み出す素地となります。

澤井陽介(2016)「学級経営は「問い」が9割」東洋館出版社 p120-121

何かを共有するときに

「可視化する」

ということは非常に有効ですよね。

しかし、授業づくりや学級の約束づくりに関しては、どうしても先生の説話に頼ってしまったり、抽象的な言葉で伝えたりする場面が多かったなぁと、反省しました。

「目標とする具体的なイメージを、子どもと共有する」

ということです。

ルールづくり

ルールをつくる目的は変えない

ルールには限界があります。だから本当は、常に変える余地があるのです。むしろ、学級のルールは、変えれば変えるほど、その幹は太くなります。ルールをつくる目的さえブレなければよいのです。目的は変えない。その目的に達するための約束事がルール。

澤井陽介(2016)「学級経営は「問い」が9割」東洋館出版社 p124

「ルールは変えてもいいのだ」

という意識を、子どもも先生も持っていたいなぁと思います。

子どもの実態に合わせて、柔軟に変えていきたいですね。

また、澤井先生は

「でも、ルールを忘れちゃうぐらい本気になってほしいなぁ」

と、子どもに伝えるそうです。

このへんの「さじ加減」は、さすがスキルの高い先生だなぁと感じました。

子どもとの関係性に注意しながら、進めていきたいと思います。

静かにさせたいとき

澤井先生は、子供を静かにさせたいときは

「先生が間をつくる、この一点です」

と、書いています。

「騒がしくなって先生が怒っていることに気がついたら、きみたちが注意してあげてね。先生が叱りつけるのと友達同士で静かにしようと言い合うのと、どっちがいい?どっちがいい集団?どっちの教室が幸せだと思う?」

澤井陽介(2016)「学級経営は「問い」が9割」東洋館出版社 p171

本書のタイトル通り、澤井先生は子どもに「問いかける」場面が多くあります。

教師主導のトップダウンではなく、

「子どもと共に創る」

という姿勢を感じました。

授業づくり

問いは持ち帰らせる

問いを持ち帰るとは、単に「家に持って帰る」ということではありません。授業外でも考えるということ、すなわち、疑問を持ち歩くということであり、疑問を持ったまま生活するということです。

澤井陽介(2016)「学級経営は「問い」が9割」東洋館出版社 p134-135

授業や生活で生まれた「問い」は、なんとなく次のように考えてしまうことがあります。

「授業時間内で解決しなければ」

「なんとか、わかった!状態にしてあげたい」

「きちんと理解させて帰したい」

でも、せっかく生まれた問いを広げたり深めたりしたいのであれば、子どもに委ねて時間をかけて学んだ方が、きっと質の高い学びになりますよね。

そして、いつか子どもが

「あぁ、なるほど、こういうことか」

と気づくための種まきが「問い」であると考えるのも、面白いなぁと感じました。

相手意識

「『書かせる』ことが目的である限り、子供は書いてくれません。本当に書かせたかったら、誰のための文章なのかをまずはっきりさせることです。〜中略〜

私が子供たちに最も気づいてほしいと思うすごさ、価値、それは相手意識です。〜中略〜

ノートであれば、「感想はまず先生に読んでもらう気持ちで書くこと。これは、きみらのメモじゃない」と私は何度も口にします。

澤井陽介(2016)「学級経営は「問い」が9割」東洋館出版社 p140-141

相手意識の育った学級は、温かさがあると思います。

まずはノートの字や内容で、相手意識を育てる。

正直、ノート指導が一番簡単に取り組めることだと感じました。

簡単なことができずして、さらに難しい相手意識は育たないですよね。

逆に、基本となる簡単なことを大切にすることが、大きな成果につながるはずだと思いました。

終わりに

この本を読んで、

「先生の在り方」

について、考えることができました。

先生は、はっきりと、学級経営や素晴らしい学級像のイメージを持っている。

そのイメージをなるべく具体的に子どもと共有している。

子どもに問いかけて、生活や学習の課題が自分事になるようにしている。

そんな、当たり前に思えることが、実はできていない自分に気づくことができました。

さぁ、また次の本を読もう。

澤井先生、貴重なご示唆を、ありがとうございました。