最近、本を読んでアウトプットをする場として、ブログを活用しています。
あくまでも個人的見解なので、正解を導き出す記事ではありません。
今更ながらですが…「13歳からのアート思考」すごく良かったです!
知り合いから借りて読んだのですが、素晴らしい1冊!
参考・引用文献は以下の通りです。
末永幸歩(2020)
〜「自分だけの答え」が見つかる〜
13歳からのアート思考
ダイヤモンド社
本の内容
以下の内容で構成されています
・オリエンテーション
・Class1(第1章)〜Class6(第6章)
・エピローグ
オリエンテーション
オリエンテーションでは、
「アート思考の基本的な考え方」
が述べられていると感じました。
アートを植物に例えると、以下のような要素で、アート思考が構成されるそうです。
興味のタネ:自分の中に眠る興味・好奇心・疑問
探求の根:自分の興味に従った探求の過程
表現の花:そこから生まれた自分なりの答え
「13歳のアート思考」p299より引用
私たちは普段、目に見える「表現の花」の部分ばかりに注目し、地表に顔を出さない「タネや根」の部分に対しては無自覚であり、無意識である場合がほとんどです。
しかし、アートにとって本質的なのは、作品が生み出される過程、つまり「タネや根」の部分だというのです。
アート思考とは「自分の内側にある興味をもとに自分のものの見方で世界をとらえ、自分なりの探求をし続けること」だといえるでしょう。
末永幸歩(2020)「13歳からのアート思考」ダイヤモンド社 p39
教育に置き換えてみましょう。
例えばあなたが、
「子どもに生きる力を育みたい」
ということに、興味を持っていたとします。
その興味について、自分なりに
「生きる力とは何か?」
「私が考える生きる力はこれだ」
などと、探求し続ける、ということです。
もちろん、文献や先行研究、指導要領を読み漁っても構いません。
大切なことは、
「興味=目的意識」を持って、探求し続けることだと感じました。
Class1〜Class6について
ここでは、アートの歴史や捉え方が、時代によってどのように変化してきたのか、ということがわかりやすく述べられています。
「わかりやすく」と書きましたが、本当にわかりやすいです。
私はアートに対して全くの素人ですが、「アートについて少しわかったつもり」の錯覚に陥りました(笑)。
著者の末永幸歩さんは、大学で教鞭をとられているようです。
そこで、大学で実際に、学生へ講義をした様子についても書いています。
というか、本書自体が、常に読者に問いかけるような形で展開されており、本を読みながら一緒に講義を受けているような感覚を与えてくれます。
これは、かなり楽しい体験でした。
エピローグについて
最終章ですが、ここに全てが詰まっていると言っても過言ではありません。
プロローグでアート思考の基本を掴み、
Class1〜Class6で実践編を体感し、
最後に、エピローグで一番大切なことをまとめている…という流れです。
私の記事の後半では、エピローグの内容から、
「教育にアート思考をどのように落とし込んでいくのか」
ということを考えたいと思います。
アート思考と教育
あなたは「アーティスト」か「花職人」か?
本の中では、上記の表現がよく出てきます。
「アーティスト」としばしば混同されるのは「花職人」と呼ばれる人たちでした。「花職人」は、「興味のタネ」を伸ばす過程をないがしろにして、「タネ」や「根」のない「花」だけをつくる人です。
彼らはたしかに日々忙しく、真面目に手を動かしていますから、ややもすると懸命に「探求の根」を伸ばしているようにも見えます。
しかし、彼らが夢中になってつくっているのは、他人から頼まれた「花」でしかありません。自分でも気づかないまま、他人から与えられたゴールに向かって課題解決をしている人 ー それが「花職人」なのです。
末永幸歩(2020)「13歳からのアート思考」ダイヤモンド社 p299-300
どうでしょうか?
学校の先生方の多くが「花職人」になってはいないでしょうか。
もちろん、それを否定するつもりはありません。
私自身も花職人の一人です。
「他人から頼まれた花」のような、
「自治体による授業のスタンダード化」「全国学力テスト尊重主義への偏り」「文科省からの通達」「管理職や研究団体の期待に応える」など、様々な「他人から与えられたゴール」が存在しています。
ほとんどの先生はきっと、こうした周囲からの期待や圧力に応えようと、懸命に努力しています。
学校への過度な期待と業務がのしかかる現代においては、そうなることが必至なのです。
しかし、「それでは悲しいな」と感じたのです。
他人から与えられたゴールに向かってひた走ることは、ある時点を境にきっと苦しいものへと変化します。
先生として教育の道を進む中で、きっと前半のうちは、「他人から与えられるゴール」に向かって走ることが楽しい時期があります。
そこからさらに、ある程度の経験を重ねると、「目的意識をより強くもって、教育活動を深めたい」と思うようになります。
そうなった時、教育の目的を「誰かに与えられる」ことは、「つまらないな」と感じるようになります。
目の前の子どもの姿をよく見て、様々なことに気がつくようになると、「先生として、この子どもたちに合った方法を模索したい」と考えるようになるからです。
公教育の大枠の目的は、頭の良い人たちの知見を持ち寄って、学習指導要領に示されています。
それは「生きる力の育成」です。
そこはブレる必要はないと思います。
しかし、学校現場で行われる学力向上施策の取り組み、学習規律の確立などの多くは、「目的と手段が乖離」していると感じざるを得ません。
まるで「学力向上が目的」「学習規律の確立が目的」だと感じる、ということです。
そして、そのための方法論が現場の先生の意思で決められるのではなく、行政や自治体からのトップダウンで行われている現状も、少なからずあるのではないでしょうか。
子どものためにも、先生のためにも、私は「自分自身の探求のタネと根を大切にしながら、教育活動を心から楽しんで創造していきたい」と考えるようになりました。
これには個人差がありますので、一人一人の先生が自分の意思で、自分の納得のいく教育活動を展開することが、唯一の正解です。
「花職人ではダメ」とか「これが正しい」ということを言うつもりは一切ありません。
あくまで、私自身が大切にしていきたいことを述べている、というスタンスです。
続いて、アーティストとは何かということです。
他方、「真のアーティスト」とは「自分の好奇心」や「内発的な関心」からスタートして価値創出をしている人です。好奇心の赴くままに「探求の根」を伸ばすことに熱中しているので、アーティストには明確なゴールは見えていません。ただし、それらの「根」はある時地中深くで1つにつながっていくという特徴があります。
「自分の興味・好奇心・疑問」を皮切りに、「自分のものの見方」で世界を見つめ、好奇心に従って探求を進めることで「自分なりの答え」を生み出すことができれば、誰でもアーティストであるといえるのです。
末永幸歩(2020)「13歳からのアート思考」ダイヤモンド社 p300-301
先生自身が「自分の好奇心に従って教育を探求する」方が、私は「楽しい」と感じます。
教育活動は基本的に苦しく、難しく、だからこそ奥深いものなのだと思います。
ある時期になると、「楽しい」よりも「苦しい」が多くなることもあるのではないでしょうか(私はありました)。
そんな時、それでも先生として子どもたちの前に立つためには、「先生が楽しんでいる」ということは、大切なことだと思うのです。
先生が楽しんで仕事ができる、アート思考の考え方が、私は好きになりました。
スティーブ・ジョブズ氏の言葉
本の中で、アップルのスティーブ・ジョブズ氏が、亡くなる6年前にスタンフォード大学で行なったスピーチの一部が紹介されています。
仕事は人生の大部分を占めます。だから、心から満たされるためのたった1つの方法は、自分がすばらしいと信じる仕事をすることです。そして、すばらしい仕事をするためのたった1つの方法は、自分がしていることを愛することです。もし、愛せるものがまだ見つかっていないなら、探し続けてください。立ち止まらずに。
末永幸歩(2020)「13歳からのアート思考」ダイヤモンド社 p302-303
素敵すぎる言葉だと思いました。
「自分がすばらしいと思う仕事をすること」
「自分がしていることを愛すること」
そのために私にとって必要なことは、
「先生として、花職人ではなくアーティストとして生きる」
ということでした。
もちろん、これは私の場合です。
自分がしている「先生という仕事」を愛するために、私は自分の興味のタネに従って、探求の根を伸ばそうと考えています。
誰かが「価値がある」と言ったことではなく、私自身が「価値がある」と思ったことのみを、これからは探求し続けようと思いました。
それはきっと、子どもを含め、多くの人の幸せにつながると考えています。
ここでは詳述しませんが…。